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  • 執筆者の写真Kaleialoha

My Dance History 21


フラを初めて来年で30年。

私は幼い頃から踊りをしていたので

踊り始めてからは今年で46年(笑)

自分の人生の中で踊るという事がほぼほぼ占めている。


30年を目の前にして、私のDance History を

気ままに書いてみようと思う・・ 


⑳を読まれていない方は、こちらから先にどうぞ。



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㉑インストラクターの仕事


スタジオでの仕事も慣れ、先輩達のお蔭で

直ぐにスタジオデビュー出来る事になりました。


2Fがフロントで4Fまでの更衣室へ

上がる階段の壁に

スタジオインストラクターの写真が

飾られています。

一番最後に、

自分の写真が飾られた時に、

重圧と責任感を感じました。


多くのあなたの先輩達は、

遠い派遣先へ行き、このスタジオの看板を背負い

プライドを持ってレッスンをしています。

あなたは、限られたこのスタジオの枠で

レッスンが出来るのですから、

自覚と責任をくださいと

マネージャーから言葉を頂きました。


そして、私は晴れて社員になりました。


多くの派遣先があるこのスタジオ。

スポーツクラブは勿論、

一般企業へ出向いてのレッスンもありました。


当初、私は、毎朝のジムでの身体作り、

スタジオのレッスンが週2回、

派遣先の仕事が週2回、

その他は、フロントでのシフト、

また急な代行のレッスンなどでした。


その間に週1日フラレッスンへ通い、

合間に、自分のダンスグループの稽古という

スケジュールが始まります。


そして、デビューしてすぐに

会社の指示である雑誌の

インタビューを受けます。


それは、お稽古の雑誌でした。


私のダンスのバックグラウンドを目にした

雑誌社が興味を持ってくれたらしく、

次々と取材の申し込みが会社に来て、

有難いことに更に多くの企業からの派遣の仕事が

来るようになりました。


派遣先は、遠い所で、

高速バスや、電車、タクシーを乗り継いて、

遠い所では

茨城県まで通いました。


全て夜のレッスン。


私はその頃、横浜に住んでいたので、

レッスンを終えて帰宅すると

もう夜中。


勿論、ダンスグループのお稽古には

もう、参加できなくなりましたが、

フラには何故か

影響なく行けていたんだ(笑)


そんな毎日が続き、

忘れもしない年末の出来事があります。


それは、年越しエアロです。

スタジオのイントラが代わる代わるに

リードしながら、会員さんとエアロをしながら

カウントダウン。


そして、新年を迎えそのまま宴会に。


私は、朝一の新幹線で

実家の母に会いに行くのです。


元旦の朝、実家に到着した私。

しかし、

翌朝、朝一の新幹線で東京に戻り、

新年最初のスタジオレッスンを私が担当。


それが、私のイントラ時代の

毎年の恒例行事に。


今思うと

めちゃめちゃダッシュで

駆け抜けていた時期だったと思う。




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