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  • 執筆者の写真Kaleialoha

My Dance History 24


フラを初めて来年で30年。

私は幼い頃から踊りをしていたので

踊り始めてからは今年で46年(笑)

自分の人生の中で踊るという事がほぼほぼ占めている。

30年を目の前にして、私のDance History を

気ままに書いてみようと思う・・ 


㉓を読まれていない方は、こちらから先にどうぞ。

㉓幻の競技会



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㉔再び。。。


空いたスケジュールを埋めるかの様に

ダンスの稽古、そして、ダンスクラスをスタジオで

やらせて頂ける様になっていました。


エアロビクスとは違う体の使い方に

今度は逆に戸惑いもあったのだけれど、

長年やっていたダンス、

直ぐに感覚は戻ってきました。



私のエアロのプログラムには

私らしく、少しダンスの要素も取り入れていて

もっとダンスも学びたいという方も

お陰様で増え、私もなんとなく、ほっとしていました。


そして、

以前通っていた神楽坂のスタジオにも

改めて通い出し、

仲間とのダンスの稽古にも

夜中に集まってレッスン。



しかし、持病の足が痛みだし、

元々頭痛持ちの私は、

以前よりも頻繁に

頭痛に悩まされます。


痛み止めを口の中で

嚙み割りながら

レッスンをしたりしていたけれど、

休みたいとは一度も思ったことが無い・・


今思えば、皆との稽古を減らしても

良かったのではと思うけれど、

何かを成し遂げるという事が

好きなのか(笑)

あの頃は、ただひたすら

一生懸命だったのだろうと思う。。

勿論、身も入らない怠慢な私でしたが、

フラのレッスンも

休まず行っていました(笑)


そんな中、

電話がなりました。。


それは実家の母から。。。

胃に大きな腫瘍が出来たと。。


明後日、検査だけれど、

きっと忙しいと思うから

帰ってこなくていいと母は言うのです。


心配しながらも、やはり、すぐには帰れず、

母から、数週間後に検査結果の連絡。


良性の腫瘍なので

手術すれば大丈夫との事でした。


その報告には安心したのだけれど、

母の声は、弱々しく、

電話を切る頃には

実家に戻ろうと決めていました。


私は、素直に母の傍にいてあげたいと

思ったからです。


翌朝、上司に報告。

残念だけど、あなたの選択を

応援するわと言ってくれ、

レッスンの引継ぎ、そして、引っ越し、

数週間後の母の手術の前に、全てを引き払い、

再び実家に戻る事になります。


この時、上司が言ってくれた残念には、

深い意味がありました。

実は、翌年には、スタジオが閉鎖するのです。

スタジオ閉鎖は、本社から上司にしか知らされておらず、

インストラクターに知らされるのは

まだ、半年も先の事。


遅かれ早かれ、

私は将来の道を選択しなければいけないのでした。。


この残念は、

一緒にスタジオの閉鎖を見届ける事が

出来ないという意味も込められていたのですが、

私はその事を知らないまま、

実家に戻り、

再びリセットボタンを

押すことになるのです。





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