Kaleialoha
My Dance History 7

フラを初めて来年で30年。
私は幼い頃から踊りをしていたので踊り始めてからは今年で46年(笑)
自分の人生の中で踊るという事がほぼほぼ占めている。
30年を目の前にして、私のDance History を
気ままに書いてみようと思う・・
⑥を読まれていない方は、こちらから先にどうぞ。
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⑦運命の恩師との出会い
高校に進学した私。
その高校は、小学校から大学までの付属高校で
かなり自由で楽しい学生生活が待っていました。
沢山の友達が出来ましたが、中学時代のトラウマで
全てを話せる親友はできませんでした。
この学校はとてもスポーツが盛んで
全国各地から優秀な選手が推薦で入ってきていました。
スポーツが盛んな学校なので?ユニークな事に
卒業式前には、跳び箱のテスト。
いくら勉強が出来ても
跳び箱5段を飛ばないと卒業できないのです(笑)
話を戻して、小中学の時とは違い、1学年が12組もある
マンモス校。
私は、自分が小さい頃から踊りをやっていた事は
黙っていましたが、
入学式で隣だった初めての友人に誘われて
応援団(チアダンス部)に入部することになります。
チアダンス部とは言え、
全国大会を目指すような部活ではなく、
スポーツが盛んな学校の為
野球やサッカー、そしてラグビーなど
全国制覇する事も多く、応援団の中のチアダンス部といった
かなーりゆるい感じの部活でした。
特に踊りのテクニックも要らない、
強いて言えば、炎天下で3時間や4時間踊りっぱなしなので
体力勝負と言ったところでしょう。
初めての友人は、ダンスに興味があったのではなく、
応援団員の1人に憧れて(確かに格好良かった~)入部したいと。
私は、それに付き合った感じで入部を決めます。
そして、それと同時に、
担任から、チアダンス部と掛け持ちで生徒会の役員にと
指名されます。(暇そうだから??)
まあ、バレエのお稽古もないし、
私は、チアダンスと生徒会庶務、中学時代とは正反対の
明るい光の中の楽しい学校生活が始まります。
初めての友人は、夏前にはチアダンスを退部し、
新たにかっこいい男子を見つけたらしく、空手部に入っていました(笑)
私はそのまま残ります。
初めての友人とそして、その後楽しい仲間が増えて
いつも10人程でつるむようになっていました。
いわゆるやんちゃな青春時代の始まりです。
そして、2年になるとクラス替え。
1年の中の良い友人は誰一人同じにならず、
新しい友人、そして、新しい担任の先生になります。
その担任は、剣道部の顧問で見た目は勝新太郎(笑)
ガラガラ声。
いつも、”こらー”と怒鳴ってる・・・
その 勝新太郎似の担任が、後に
私と踊りを結び付けてくれる運命の恩師になるのです。