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執筆者の写真Kaleialoha

フラダンサーへ:HulaとMeleによって歴史は蘇る



先日、イギリス国王のチャールズ3世の

戴冠式がロンドンで行われました。

新たな君主の戴冠式は、70年振り。

伝統的な儀式と歴史的瞬間。

とても感動しました。


そして、頭にはハワイ王国の歴史。

ハワイの州の旗にもユニオンジャックがあるように

古くから英国王室との深い結びつきのあったハワイ。


今日は、少し遡ってみましょう。


1778年クック船長が初めてハワイへ。

その後多くの西洋人がハワイへと来航する事により

ハワイには大きな変化が起こります。

ハワイ全島を制覇したカメハメハ大王は、

1810年 初代国王となります。


1823年11月には、

カメハメハ2世と妻のカママル妃が初めて イギリスのジョージ国王に会う為に

捕鯨船に乗り、英国へ渡ります。

しかし、1824年7月にはカママル妃が、

続いて

カメハメハ2世がはしかにかかり命を落とします。


1840年には、

イギリスの憲法を模範とし、

ハワイ王国の憲法が制定されます。


そして、

今回の戴冠式を見て真っ先に頭に浮かんだが、

1887年にロンドンで行われたビクトリア女王 

即位50年を記念するジュビリー。


カラーカウア王の妻、カピオラに王妃と

王の妹、リリウオカラ二妃が

出席しています。

そして、その時の様子をMeleに残したのが、

リリウオカラ二妃が書いた

Queen's Jubilee

フラダンサーなら良く知るMeleですね。


確かビショップミュージアムだったか?

イオラニ宮殿だったかに、

その様子が描かれた絵画が

ありましたね。


その様子が、

今回のチャールズ国王の

戴冠式と重なります。

そして、

このMeleから当時の様子が

想像できるのです。



まるで蘇るかのように・・・・


弟のレレイオホク王子、

妹のリケリケ王女が病気で亡くなり、

兄のカラーカウア王も病に倒れ、

後に

ハワイ王国の最後の君主となった

リリウオカラ二女王。


Haku meleして音楽を愛し、

150曲以上もMeleを残した

リリウオカラ二女王。

そのMeleがあるからこそ、

現代の私達が知る事が出来る

ハワイの歴史、文化、そして伝統。


フラの大切さと、

伝統という重さも感じます。


私の大好きなアンティーが

いつも語ってくれる言葉。

HulaとMeleがその当時のハワイを

蘇らせる・・・


だから、私達は学び続ける。。。


まだまだ書きたいことは沢山ありますが、

今回はこの辺で。


良い週末をお過ごしください❤



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