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  • 執筆者の写真Kaleialoha

My Dance History 5























フラを初めて来年で30年。

私は幼い頃から踊りをしていたので踊り始めてからは今年で46年(笑)

自分の人生の中で踊るという事がほぼほぼ占めている。


30年を目の前にして、私のDance History を

気ままに書いてみようと思う・・ 

④を読まれていない方は、こちらから先にどうぞ。

 ↓

 


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⑤暗黒の中学時代


中学生活は、楽しい事があったのか?記憶が飛んでしまっている程、

暗黒の生活でした。



入学後、必ず部活に入らなければいけなくて

私は、その頃の友人と硬式テニス部に入部しました。

とはいえ、中学校では軟式の方がメジャーで部員も少なく、

練習もかなり緩く、2年からはほとんど行って無かった様な(笑)


中学校と言えど、

小学校から同じメンバーが中学に上がるので

私は、小学校時代の自分を引きづっていました。


そして、友人とは 何なのか?

そんな事を考えてしまうような出来事が起こり、

人に頼ったり、人と交わう事は避けていきます。


そして。。。

早くこの町から抜け出したい!と思っていました。



さて、

居残り組の隣のクラスのバレエは、

週3回のお稽古になっていました。


水曜日は、中学校から歩いて20分程の幼稚園に、

そして、土曜日は駅周辺の施設、

日曜日は、バスで

片道30分の隣町。


保育園時代に一緒に始めた友人達は既に辞めてしまっていて

教室のメンバーは随分変わっていました。

週に何日お稽古に行くかは選べたのだけれど、

週3回のお月謝を母は何も言わずに出してくれました。


その頃は、トウで立ちたいと思っていた自分は既に超えてしまい、

次の目標が無いままの普段の基礎稽古を黙々と繰り返すだけ。

バレエの楽しさも感じていたか不明、

ただ、

どんな時でもお稽古は休まずに通っていました。


しかし、バレエが無い日には

何がなんだか分からない精神状態。

誰にも話す事無く今まで生きてきましたが、

その頃の私は自分を傷つける様になっていました。


自分の顔を殴る・・・

何度も何度も。涙なんて出てこない。

痛さも感じない。

あざになった顔、母に聞かれれば

ボールが当たったと言って笑う私。


そんな事の繰り返し。


父の遺影だけが

そんな私の姿を見ていました。



暗黒の中学校時代。

自ら命を落としてしまわなかった事、

そして、偶然にも父が亡くなる前に勝手に始めた(笑)

バレエというものが

私にとってどれだけ救いの場所だったことか

とても感謝しています。



暗い話でごめんなさい!



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