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  • 執筆者の写真Kaleialoha

My Dance History 4

























フラを初めて来年で30年。

私は幼い頃から踊りをしていたので踊り始めてからは今年で46年(笑)

自分の人生の中で踊るという事がほぼほぼ占めている。


30年を目の前にして、私のDance History を

気ままに書いてみようと思う・・ 

③を読まれていない方は、こちらから先にどうぞ。

 ↓

 


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④記憶力と傷ついた心


幼い頃から、踊りをしていた私。

知らず知らずに鍛えられた記憶力は、踊りの振りを覚える速さ、

そして、色々な事が覚えられる子供になっていました。

(今も子供時代位覚えられたらいいのだけど~)


まだ、自分の中でその意識がない小学生の頃、

その記憶力がきっかけで悲しい事が起こりました。。。


母は、生きてく為に夜遅くまで仕事。

帰宅が夜中過ぎになる事も多く、近所に住む父の親戚や、母方の叔母の家に預けられたり、

時には、夜叔母が家に来てくれる事もありました。


叔母達に甘える事が出来なかったのでしょう。。。

私は大人から見たら、しっかりした小学生だったらしいのです。


小学2年生の時、新1年生を迎える会で 私は生徒代表に選ばれました。

1500人ほどいる小学校、全く緊張することもなく、話せた事がうっすら記憶にあります。

暗記する力が人より長けていたかは不明ですが、

自分が書いた作文などもすぐに暗記をし、そして挨拶文なども書いてしまえば

すぐに頭に入ってしまうのです。


(その暗記力を勉強に使えば良かったのですが、興味のない事には発揮できないらしい:笑)


それから、色々な”代表”に選ばれ、地域の小さな行事から、

市の大きな行事でも話すようになっていきます。



そして、忘れもしない小学校4年生の出来事。


クラスの担任の先生は、他の学区から私の学校に来た男の先生でした。

毎年ですが、1学期が終わる時だけ、通知表を受け取りに母親が学校にきます。

母は、上記に書いた様に仕事が忙しかった為、運動会、参観日などには、一切来る事は出来なかったのですが、

唯一、通知表を受け取る時だけは学校に来てくれました。


私の兄2人はとても優秀で成績もよく、私はずーっと驚くほどの成績の悪さでした(笑)



そして、当日母が兄たちの面談を終えて、私の教室にきました。

母が学校に来ることは、めったにないので私は少しウキウキしていました。



担任の先生から、いつもの出来の悪い成績表を机の上の開いたまま

先生は母にこう言いました。


”あなたのお嬢さんには、がっかりしました”


もっと勉強ができるかと思ったので、この学校に来た際にあなたのお嬢さんを指導したいと

申し入れて、あなたの担任になったのに。。。


その後、なんと言われたのか、私の中でかき消されたのか?記憶がないのだけれど、

ネガティブな言葉でした。


少しの沈黙の後、


母は、

”小さい頃から、ほったらかしでちゃんと面倒を見てあげれなかったので

私のせいなのです。ご迷惑をおかけしたのでしたらすみません”

と涙を浮かべて謝っていました。


どうやってこの話が終わったのか、その後母とどんな会話をしたのかも

記憶がないのだけれど、私の心の中には沢山の?と

傷ついた心が残っていました。


どうして、母が謝るのだろうか?

私の勉強が出来ないのは、もうずっと昔に分かっているはずなのに・・

自分の事で、母が涙を浮かべて謝っていた姿を目の前にして、

とても悲しくなりました。


それから、勉強ができないのに、代表などに選ばれる私

自分自身が嫌いになります。

なんだか見せかけだけの人間みたい。。



大人になった今の私も、いつも目標にしている事があるのね。

見た感じ、この人?フラ踊れるのかな?って思われても

踊ったら、凄ーい!って思われる人になりたいって。

ちゃんと勉強をして、見せかけだけのダンサーにはなりたくない!


それも、この時の経験からきているのかもしれません。


自然に鍛えられていった記憶力が、

こんな形になるとは思っていなかったのだけれど、

一人で過ごす時間の多い小学校時代。


そして、これから、

暗黒の中学生活が始まっていくのです。






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